Korosuke's blog

大学の授業のまとめ、イギリスでの生活など、気ままにつづります。

国際法 International Law 法源 その1

国際法

日本の大学でも授業を受けたことがある科目なのですが、本当につまらなかったです…。授業だけのせいにしてはいけませんが、当時は、生きたものとして国際法を考えることができませんでした。

国際法は、安全保障や国際関係論等との関連性が深く、それらへの関心がないと、何をやっているのかよくわからなくなるのだと思います。私の学生時代は、国際関係論への関心がそもそもなかったことが問題だったのでしょう。

 

と、ここからは、授業の復習。今の授業では、基本的なとこからかなり丁寧に教えてくれています。法源に2週も費やしています。(以下は主にレジュメに基づいて作成した個人的なメモになります。)

 

☆国際法の法源とは?

国際司法裁判所規程38条1項cによると

①International convention (国際条約)

②International customs (国際慣習)

③The general principles of law(法の一般原則)

ーここまでがLaw

④Judicial decisions and the teachings of the most highly qualified publicists of the various nations (裁判上の判決及び諸国の最も優秀な国際法学者の学説)は、subsidiary means for the determination of rules of law(法則決定の補助手段)として扱われる。

 

☆Questions

◯慣習は、どうしたら慣習法になり得るのか?

 

上記38条には、「法として認められた一般慣行の証拠としての国際慣習」とあるが(そもそもこの定義は、”法として認められたモノが法になる”というパラドックスを抱えているのだけれど)、国際司法裁判所は慣習国際法の形成要件として以下の2つの要素をあげている。

 

a) State practice( 国家慣行)

 ①「practice」とみなされるには、uniform(均一、統一的なもの)でなければならない。

②must be general (majority) (大半の国)の慣行となっていることが必要(universalである必要はない)。

③ただし、全ての国が等しく扱われるわけではなく、specially-affected States(特別の利害関係を有する国家)の慣行が考慮される。

④実施期間は、伝統的には、time immemorial(はるか昔から)とされてきた。

 しかし、North Sea Continental Shelf(北海大陸棚)ケースでは、

「短期間の経過であってもその事自体は新しい国際慣習法規の形成を妨げず、重要なことは、その期間内に特別の利害関係を有する国を含む国家の慣行が広範かつ実際上の一致をみることである」としている。

(参考:ICJ Reports 1969 p.3 para.73)

Although the passage of only a short period of time is not necessarily, or ofitself, a bar to the formation of a new rule of customary international law on the basis of what was originally a purely conventional rule, an indispensable requirement would be that within the period in question, short though it might be, State practice, including that of States whose interests are specially affected, should have been both extensive and virtually uniform in the sense of the provision invoked and should moreover have occurred in such a way as to show a general recognition that a rule of law or legal obligation is involved. (下線追加)

 

b) Opinio juris sive necessitatis (法的確信、法的信念)

訳を見てもそれって何?という感じのこの言葉。

現代国際法講義(杉原他、第五版)によると「当該行為の慣行が法的権利義務の観念を有するとの規範認識」。

 

要は、国家が「法的義務である」という意識を持って行われていることが必要、ということになります。

 

これについては、先生が、とてもわかりやすい例をあげてくれました。

「A国が100年前からB国に対して毎年クリスマスに毛布を100万枚贈与している。この場合、A国がある年から急に贈与をやめた場合、国際法違反に問われるか?(つまりこの行為は慣習法と言えるか)」

上記のa)の要件については満たしていると言えます。他方、b)については、一般的には、A国が当該行為が法的義務に基づいたものであるという意識を持って行っているとは言い難く、よって、毛布の寄贈行為は慣習法ではないと言うことができます。

 

上述のNorth Sea Continental Shelfケースでは、

The States concerned must therfore feel that they are conforming to what amounts to a legal obligation... The frequency, or even habitual character of the acts is not in itself enough.

(関係国は、法的義務に相当するものに従っているとの感覚がなければならない)

 とあり、opinio jurisが必要としています。

 

ただし、この要件は主観的な要件のため、認定が難しいです。

● 一般的な国家慣行があったとして、opinio jurisもあるということを推測できるのか?

● opinio jurisに関する見解がわかれた場合はどうするのか?

といった問題があります。

 

1つ目の問題については、Northern Sea Continental Shelf ケースは、以下のように述べて、厳格に判断しています。

 

The position is simply that in certain cases - not a great number - the States concerned agreed to draw or did draw the boundaries concerned according to the principle of equidistance. There is no evidence that they so acted because they felt legally compelled     ... by reason of a rule of customary law obliging them to do so…  

単に、あるケースにおいて、関係国が等距離の原則に従って国境を引くことに同意したというに過ぎず、法的義務があるという感覚がある故にそのように行動したという証拠はない。(→等距離の原則が一般的な国際慣習法になっているという証拠はない)

 

判決の該当箇所だけ抜き出しても、何の事かわからなくなってきたので、北海大陸棚事件について、次回以降の記事でまとめたいと思います。

 

2つ目については、見解が分かれている場合には、opinio jurisがない、つまり当該慣習は国際慣習法とはならない、となるようです。

 

【核兵器による威嚇または核兵器使用の合法性事件(ICJ Reports 1996 (Ⅰ), P.226 para.67)】

核兵器の不使用がopinio jurisの表明にあたるかどうか、について。

 

Furthermore, the Members of the international community are profoundly divided on the matter of whether non-recourse to nuclear weapons over the past fifty years constitutes the expression of an opinio juris. Under these circumstances the Court does not consider itself able to find that there is such an opinio juris.

過去50年にわたる核兵器の不使用がopinio jurisの表明にあたるかどうかについて、国際社会の構成員には深刻な見方の対立がある。かかる状況の下において、裁判所は、かかるopinio jurisの存在を見出すことができるとは考えない。

 

慣習法については、あと少し残っているので、次回に続きます。